口永良部島のご紹介

口永良部島のご紹介



○口永良部島の名前の由来

口永良部島のご紹介

口永良部島は、通称はエラブ(永良部)と呼ばれています。
名前の由来ですが、永 里岡氏の「口永良部島の地名考」によると、「えらぶ」の「えら」は、江良・恵良・永良・鰓の意味ではなく、江浦(えら)の意味である。ぶは部でなく夫である。夫は江野夫・野夫・漁夫の略で、軽輩・海人・・・・の意味。
「えらぶじま」は江浦夫島(えらぶじま)で、入江の辺に住む海人に由来する島名であるから、「えらぶじま」と「えやぶじま」は音転ではなく、異音同義の島名である。
だから、「くちえらぶじま」は口江浦夫島(くちえらぶじま)で、近いところにある海人の島を意味する島名である。

○口永良部島の歴史

近世
江戸時代から明治22年までは「口永良部島村」とよばれ、広い野原を利用し、数百頭の馬が飼われていました。
島には天然の良港があり、琉球諸島から上下する船は必ずこの港に停泊したようです。また、幕末に異人相手の藩営密貿易所があったと言われています。
明治22年に上屋久村の大字になりました。
近世~現代
口永良部島の火山は爆発を繰り返してきました。10~20年おきに噴火を繰り返しており、1933年の大爆発の際には、七釜集落が噴石により全焼の被害を受けたと記録されています。 (現在は、集落跡のみ確認されます。)
硫黄鉱業、ガジュツ生産(ウコンの一種で胃薬の原料)が盛んでした。
古岳に残る硫黄砕石跡
現代
昭和25年頃、2400人であった人口は、爆発の度に転出し、さらに高度経済成長以降、人口の流出が続き、平成20年時点で約150人にまで減少しています。
集落の周辺には農地が広がっていましたが、島を出る人々が杉などの苗を植え、今では集落を杉林がとり囲みます。
平成9年6月に、屋久島との間を一日一往復する町営船「フェリー太陽」が就航し、生活者の利便性が高まりました。
そして、自然環境保全と観光利用の両立を目指し、平成19年3月に口永良部島は全島が国立公園に編入されました。

○島で過ごす時の注意点

火山への注意
・口永良部島は活火山の島です。事前に火山情報を確認して下さい。
・移動の際にはヘルメットを持参し、いざという時に備えてください。(ヘルメットは、夫々の宿泊施設で貸し出しています。)
・避難場所である“番ヶ屋峰”の位置をご確認下さい。
・噴煙が多い日は、風向きや風の強さに注意する必要があります。
・お出かけの際には、念のため行先を宿の方へお伝え下さい。
海への注意
・潮の干潮にご注意下さい。 (うっかりして置いておいたサンダルやタオルが流されてしまった、、なんて事もありえます。)
・口永良部島の海岸は、岩場が多いです。岩場のカキなどで足を怪我しないように充分ご注意下さい。
温泉への注意
・口永良部島の温泉は効能が高いため、長い時間入浴されると湯当たりします。 頑張って長時間入ると、後でドッと疲れますので。適度な入浴をお勧めします。
・現在、島内には4箇所の温泉施設があります。その内、「本村温泉」は営業時間・定休日があります。(他の温泉は24時間、いつでも入れます。)
自然への配慮
・口永良部島は、全島が国立公園です。島の自然環境への配慮をお願いいたします。
・動植物の採取はやめましょう。
・石の採取はやめましょう。
・ゴミは持ち帰りましょう。
・鹿や放牧中の牛など動物に餌を与えないようにしましょう。
滞在中の注意
・島は、都会のような便利な所ではありません。平日でもお店は夕方5~6時頃には閉まってしまいます。土日・祝日は、もちろんお店はやっていません。 飲み物の自動販売機も港近くに一台あるだけです。(タバコの自販機はありません。)
・お店が開いていたとしても小さなお店ですので品揃えはあまり良くありません。(欲しい物が必ず手に入るとは限りません。)
・ATMはございません。現金を出したい時は郵便局あるいは農協が開いている時間に窓口へ直接行って手続きして下さい。
・島に飲食店はございません。ただし、宿によっては昼食弁当を用意してくれる所もありますのでご相談下さい。
・携帯電話のご利用について、ドコモ(ムーバ、フォーマ)、auをご利用出来ます。ただし、電波が入りずらい場所があります。
・島内での移動は、車・バイクのご利用をお勧めします。自転車はアップダウンがあります。特に、暑い時期に徒歩・自転車で移動される際には、必ず飲み物をご持参下さい。(途中、自販機などありません。

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